劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に |GAINAX

劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に
出演:
キングレコード
発売日 2003-11-27


???TVオンエア終了後、激しく賛否を呼んだ最終回を映画でやり直すという前代未聞の企画で製作され、一大ブームとなったSFアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』劇場版。その内容は、テレビ版の総集編を改定した『DEATH(TRUE)2』と、真のラストを描く『AIR/まごころを、君に』の2部構成。前者の構成は、単なるダイジェストではなく、ドラマをシャッフルさせながら観る者を魅惑の悪夢に誘うかのような趣向であり、後者は人類補完計画の発動に伴う主人公たちの運命が描かれていくが、そこには本作のファンの主層でもあろうアニメおたくに対する批判が、作り手自らの痛みも伴いながら繰り広げられていく。従って、その結末にも安易な希望など見受けられず、当然ながらさらなる賛否の激しい議論を呼んだ。いずれにせよ、現代の脆弱な心のまま生きる日本人に痛切なアンチテーゼを発信し、社会現象を巻き起こすに足る問題作であったことは間違いない。(増當竜也)

捉え方・感じ方が人によって変化する作品 2006-10-05
私の一考であり、感じたことを説明します。



「人類補完計画」について。

「魂を一つにする」という解釈がありますが、僕は「善悪の選択肢」だと感じました。

簡単に言えば「人間が良いモノであれば」世界は「存続」(継続)となり、「人間が悪いモノであれば」世界は「再始動」(リセット)となることです。



碇シンジ君は零号機に乗ってアーネンエルベ(神と繋がる人)のような役割を背負い、「代表者」として偶然選ばれ、補完の選択肢を「決定し実行に移す者」(実行者)ではないかと考えます。



シンジ君は物語を通して補完の際、人間の悪い部分(自分も含めて)が目移りしてしまいそのイメージから脱却できなくて、疲れてしまって、「もう嫌だ、こんな人間達と一緒に居たくない」という境地になったのでしょう。

そして「再始動」を選択してしまったのかな、と考えました。



「存続」という選択があったかどうかはわかりません。

その可能性を漏らす言葉となるのが、シンジ君が最後に「違う」と言ったことです。

本当はそんな人達と「共に生きたかった」という気持があったんではないでしょうか?

そう考えると「皆と生き続けたい」つまり「存続」でありたいのかな、と考えました。

それでは「補完」ではないと思う方もいるでしょうが、捉え方によってはそれも一補完であると思ってます。

実際「再始動」(遅かれ早かれ魂は一つになる)という選択しか選べないのなら、人類の意義が感じられません。

どう転んでもセカンドインパクトのように同じ事の繰り返しでは、性悪説的なイメージすら感じられてしまいます。



物語全体を通して、悪いイメージが多くてこれ以上の評価は出来ませんが、形而上学的な表現としましては、秀逸な作品だと思います。



因みに「エヴァンゲリオン」とはの「福音・福音書」等の意味で、ドイツ語でネルフは「神経」、ゼーレは「魂」だそうです。

甘き死よ来たれー 2006-09-30
エヴァンゲリオンは、破滅の、言ってみれば死の物語だったんじゃないか、

終わりの話か話の終わりか、全てが自家撞着しているのではと感じた。

矛盾あっての生と死だから、矛盾あって矛盾無し。

ただ、甘き死が全てを包んで終局したのだと誠に勝手ながら感じた。

個人的には、シンジとアスカも死んでいれば尚良かったんですけどね、個人的に。



ピカソ 2006-09-20
ピカソの画を見た婦人がこんな質問をします。「あなたの画は何が描いてあるか解らない」これに対しピカソは答えます。「鳥の美しい鳴き声を聴いてあなたは鳥だと思いますか?」と。要するにピカソの画(ゲルニカなど)をみて何が描いてあるかは関係ない。目で見て耳で聴いて認識しようとするんじゃなくて、ただ感じればいいんだと思う。この作品もゼーレとかアダムは○○だとか、無理に理解しようとしなくてもいいと思う。

TV版と比べて 2006-09-15
最初は、絵がとても格好よかったのでDVDを借りて見始めた作品でした。序盤から終盤に向かうにつれて、だんだんとシンジの心の中が重要になってきて、TV版のラストでは完全にシンジ、その他のキャラクターの心の中にスポットが当たっているように思いました。





そして、最後には主人公が希望を持って「この世界も悪くない」、「僕はここに居てもいいんだ」と思えたことに、良かった、これも一つの終わり方なんだなぁと割と素直に思えました。「少し見方を変えれば〜」という言葉も、「あぁ、そうだなぁ」と思えました。使徒やその他色々な謎は残ったままだけれど、それについては人によって解釈が与えられていて、それが何を意味していて、何故そこにあったのか等を考えることもこのアニメの魅力なのではないかと思えたのです。





しかし、この映画版を観て、まずアニメとしての雰囲気の突然の変化に、「なんか色々とスゴイことになってるなぁ・・・・・・」と、ちょっと悪い意味の驚きを受けてしまいました。

もっと違った表現方法を探して欲しかったようにも思いました。

そして、観終わった後には、TV版であった納得感というかスッキリ感が無く、変に考え方が難しく、考えを狭くさせられてしまった様に思いました。自分にまだ、理解力が足りなかったのかも知れませんが。





そんなことを思い、自分の中では、「エヴァンゲリオン」はTV版の26話までで止まっています。





しかし、この作品について色々と考えてみるのもまた楽しみ方の一つだということも言えます。ということで☆3つくらいかなぁと。







すごくいい 2006-08-29
この映画での第25話「Air」の戦闘シーンはあっかんです。

さらに26話にあたる「まごころ君に」これもまたシリアスな話です、今だに完璧には意味はわかりません、しかし学校で友達と議論(?)をしている間に何かがわかる、それが楽しいです。

監督さんありがとうです!!


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